イオンが首都圏上空に巨大スーパーを創る──CTO樽石将人が描く「次世代型スーパー」の未来
イオンが「新しい買い物体験」を提供する、DXプロジェクトを立ち上げようとしている。それを担うのが、イオンの最重要戦略子会社であり、次世代ネットスーパーの創造をミッションとするイオンネクストだ。CTOに就任した樽石将人氏は、新たなリテールテックの革命へ、エンジニアをいざなう。 約2万店舗、カード会員数約4613万人、従業員約57万人、売上高も約8兆6039億円と、小売業界で圧倒的な規模を誇るイオングループ。イオンモールで購買された年間14億件のデータと、全国の店舗で蓄積された「買い物」や「生活」のデータ活用が始まっている。
元Google、前Retty CTOがイオングループへ
——樽石さんは、RedHat、Google、楽天などで重要な役割を果たしたエンジニアとして知られています。RettyのCTOとしても活躍されました。
元々はソフトウェアエンジニアやSREのバックグラウンドでしたが、Rettyで創業初期からCTOとして、2020年の上場まで技術組織を牽引。大規模システムの基盤やAIの開発、ユーザーとの直接接点、コールセンターの実業務にも携わり、ユーザー体験の重要さを学びました。
その後は、デジタル技術の経営経験を活かし、最大で数十社におよぶIT企業に対して、技術経営の課題や事業推進、人材開発などについて、アドバイザリー業務を提供していました。投資ファンドへ向けの技術デューデリジェンスの支援なども行っていました。
国内企業と外資企業の両方、企業規模も大企業だけではなくスタートアップも、経営者や投資家、営業としての経験も積んだおかげで、様々なステークホルダーの視点に立った柔軟な思考や意思決定ができるようになりました。
なぜリテールテックなのか、なぜイオングループなのか
——樽石さんがリテール最大手であるイオンにCTOとして招かれた。これはかなりのビッグニュースです。再生エネルギー関連を除き、3月からはイオンネクスト準備株式会社(以下、イオンネクスト)という会社のCTOに専念されるそうですが、どんな思いからでしょうか。
イオングループを選んだのには、いくつかの理由があります。一つは「お客さま第一」という理念に共感したからです。イオンの淵源は江戸時代の小間物商にあると聞いていますが、その頃から顧客主義を貫いてきた。Rettyも「食を通じて世界中のユーザーをハッピーにする」というのが企業理念。私もCTOとして、その実現を目指す一人でした。そこに共通点を感じたのです。
もう一つは、イオンのグリーンシフト、環境志向への共感ですね。私は2011年の東日本大震災と原発事故以降、クリーンエネルギーの重要性に目覚めた一人です。IT業界は大量に電力を使いながらも、そのエネルギーを化石燃料や原子力に依存してきた。それを強く反省し、ビジネスとして何かのアクションを起こせないかと考えました。
イオンは日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)の加盟企業であり、持続可能な脱炭素社会の実現に向けて、グリーンシフトに積極的に行動していることに、自分の想いとの共通性を感じました。
ただ、大企業グループの一員になることには、少し戸惑いもありました。私の脱炭素社会づくりの取り組みはまだ慈善事業のレベルですが、同時にライフワークだとも思っています。それだけは継続したかった。快くその継続を許可してくれたことも後押しとなりましたね。
最後はやはり人ですね。1年半前からイオンの様々な方々の話を聞き、小売業の経験豊富な優秀な人材がたくさんいることを知りました。デジタルシフトへのビジョンについても、詳しく聞くことができました。
その中で共感やワクワク感が、自分の中に溢れでるようになった。こういう人たちと一緒に仕事をしたい。私の経験と掛け合わせて、化学反応が起こせたら面白いと思ったのです。
——小売・流通業をデジタルで変革する。いわゆるリテールテックについては、どんな関心を持っていましたか。
小売業は未経験ですが、前職は飲食業界。なかでも個人経営の飲食店に対するビジネスでした。小売に近い仕組みもあり、デジタルで革新するという点では共通点があります。
コンシューマーと最大の顧客接点をもつ小売業という業界で、テクノロジーを使って社会課題を解決することには、自分の経験も活かせるし、大きな可能性を感じています。
首都圏上空に「次世代のネットスーパー」を創造する
——CTOに就任されるイオンネクストは「次世代のネットスーパー」を目指すということですが、イオングループでの位置付けや今後の事業の方向性についてお話ください。
イオングループはいま大規模なデジタルシフトを推進しており、イオンネクストはその中でも中核となる戦略子会社。イオン株式会社の100%出資により設立されました。ネットスーパー事業における最先端のユーザー体験を実現するために、最先端の技術を開発し、それを活用することがミッションです。
次世代のネットスーパーは、「首都圏の上空に登場する巨大なクラウド型スーパー」をイメージするとわかりやすいと思います。東京は土地が少ないので、大型のリアル店舗を数多く出店することはできません。そこで、クラウド上になんでも揃うスーパーを置き、買い物をしていただく。商品数は最大5万SKU。千葉と八王子に建設予定の物流倉庫から、ジャストタイミングでお客さまの玄関先まで配送します。
これまでのECサイトでは、生鮮食品の扱いが難しかったのですが、私たちはそれも扱います。牛乳でも卵でも、それこそ野菜や肉・魚、ホームウェアからベビー用品まで、倉庫と物流網で鮮度管理をしながら、お客さまの希望する時間帯に合わせてお届けする。こうした新しいユーザー体験の提供が、2023年にスタートします。
——どのようなテクノロジーを活用するのですか。
2021年春から、千葉市誉田の7万2000㎡の敷地で新しい物流倉庫を建設しています。私たちは「顧客フルフィルメントセンター(CFC)」と呼んでいます。CFC は最新のAIアルゴリズムと、24時間稼動のピッキングロボットを駆使した最先端の大型自動倉庫です。
首都圏上空に「次世代のネットスーパー」を創造する
- ▲7万2000㎡の敷地に建設される顧客フルフィルメントセンター(CFC)
このロボットは、50点の商品をわずか6分でピッキングできます。妻に買い物を頼まれると、目当ての商品を探してスーパーをうろうろしてしまう私をはるかに超える処理能力があります(笑)。
- ▲50点の商品を約6分でピッキングできるAIロボット
さらに、AIが弾き出す需要予測や最適ルートをベースにした、精緻な宅配システムを導入します。雨の日は需要が増えるし、道路も混みやすい。配送に時間がかかる。そうした条件も加味して配送プランを最適に調整します。物流は重要ですから、アウトソーシングせず、自分たちでやる。配送ドライバーも自社で雇用します。
もちろん、そのシステムをゼロから構築するわけではありません。最先端のオートメーション技術を活用した大型の倉庫・需要予測・配送最適化の実現に向けて、イオンはイギリスのOcado(オカド)社と戦略的なパートナーシップを締結しました。
Ocado社は英国内でネットスーパー事業を営む一方、ピッキングロボット、倉庫建設を含むノウハウを一つのパッケージマネージドクラウドソリューションとして、グローバルに展開している。日本ではイオンネクストが、そのソリューションを実現する初の企業になります。
新しいCFCは、コーポレートPPAと呼ばれる新しい電力販売手法を用いて、倉庫屋根に設置された太陽光電気を、自家消費しながら運営されます。イオンは2018年に「イオン脱炭素ビジョン2050」を宣言し、「店舗で排出するCO2等を2050年までに総量でゼロにする」という目標を掲げました。さらに2021年には、その目標を2040年を目途に達成することを目指すと前倒ししています。
DXを推進すれば、より多くの電力需要が高まり、化石燃料の使用量は爆発的に増加してしまう。DXは進んでも、それで地球に人が住めなくなるのは本末転倒じゃないですか。
私は、DXで人が住める世界を作ることに関わりたい。今までは再エネ化のソリューションを提供する側の視点で活動していましたが、イオンネクストでは再エネを使う側の視点でも活動ができそうです。
——イオングループには他にもシステム子会社がありますが、グループ内の協業はどのように進みますか。
イオングループの特徴として、約300に及ぶグループ企業それぞれが自走組織として事業展開をしていることが挙げられます。それぞれの事業会社がそれぞれマイクロサービスとして稼働し、グループ会社が連動してイオン全体を構成しているわけですね。
ただし、ユーザー体験も含めて各事業会社が独自に展開しているため、顧客視点からみると、グループとしてのメリットやシナジーを感じにくいという課題もあります。そこでイオンのデジタルシフトでは、ユーザー基盤や接点の共通化、スーパーのオンライン体験の向上、データによる利便性の向上などに取り組んでいます。
ユーザー接点の共通化については、子会社の「イオンスマートテクノロジー」が担当します。すでにグループ全体の共通のタッチポイントとなるトータルアプリ「iAEON」をリリースしています。 今後は支払機能の拡充や、各社が提供するアプリ・サービスとの連携を進化させていく予定です。
ネットスーパーの利点として、膨大なデータを顧客の利便性改善に繋ぐことができる。こうしたデータ活用は、デジタルシフトを加速する中国においてDXを牽引している「イオンDMC」の技術を取り入れて構築された、グループ共通のプラットフォームを用いて推進していきます。
私たちイオンネクストは、デジタルシフトの中でスーパーのオンライン体験を向上することがミッションですが、こうした戦略子会社の新たな資産を活かし、既存のグループ企業の提供価値と連動して、体験価値の最大化を目指す予定です。
イオンではこれらの戦略子会社にそれぞれCTOを配置して、適切な技術選定や戦略を推進しています。そして各CTO同士で綿密に連携しながら、グループ間の整合性を担保していく予定です。私もすでにイオンスマートテクノロジーCTOかつグループCTOでもある河村としっかりコミュニケーションをとりながら、イオンネクストの技術戦略を推進しています。
舞台はデジタル×グローバルテック×グリーン×アジア
——こうした事業を実現するために、どのようなエンジニアが必要でしょうか。また、CTOとしては、どんな考え方でエンジニアチームをまとめていきますか。
イオンネクストが取り組むシステム開発は、技術的にも体験的にも、日本ではほとんど例を見ない学びがあります。グローバルの最先端技術に触れながら、国内最大級の顧客接点というユーザーベースを対象に自分の技術を活かせます。
また、イオンはインドネシア、ベトナム、カンボジアでイオンモールを運営していますが、ネットスーパー事業についてもアジア展開を念頭に置いています。アジアの人口は約45億人。そこに向けて、サービスを提供するチャンスがきっとあると思います。
イオンネクストは大企業のグループ会社ですが、未踏の価値を実現するという意味では、スタートアップの醍醐味のある企業です。ここでの体験を通じて、人々の生活を成り立たせる仕組みがどのようになっているか、どう成長してくのか、全てを学べると思います。エンジニアには、この学びができる環境を提供していくことが大切です。
その上で、さらに、イオンネクストの経験によって、他のどのような企業でも必要とされるようなエンジニアに成長できるよう支援していきたい。たとえ他の企業にスカウトされたとしても、イオンでも引き続き価値を提供していきたいと思える環境にしていく。それがCTOとしての継続的な役割だと考えています。
——具体的にはどんなバックグラウンドを持つエンジニアを求めますか。
専門技術としては、複数のソフトウェアのインテグレーション、テスト自動化、アプリケーションの3つ。インテグレーションについては、Ocado社のマネージドプラットフォームを活用するにしても、そこにイオンのシステムをつなぎ込まなければなりません。
グループ全体で考えれば、先ほど話したような各社事業のマイクロサービスを組み合わせるために、追加のシステム開発も必要になります。様々なソリューションを結合し、一つのシステムに組み上げることができるインテグレーションエンジニアが必要です。
さらに、ネットスーパーのシステムは複雑で巨大です。リリース後も永続的に改良を重ねなければなりません。そのためには、いかに大量のテストを繰り返すかが重要になります。そこでの工数を削減するためには、テスト自動化が必須となります。
ソフトウェアの品質保証を担保するQAエンジニアや、SET(Software Engineer in Test)エンジニアと呼ばれるテスト自動化のアーキテクトも必要ですね。サービスのローンチ前までには、たくさんの自動テストプログラムが走っていて、安心してシステム統合や改良ができる状態になっているのが理想です。
3つ目は、アプリケーションあるいはフロントエンド開発のエンジニア。Ocado社にもECサイト構築のソリューションがありますが、日本の消費者向けの追加要件が必ず出てきます。コアのECサイトに、日本市場の要件をかぶせるようなイメージです。
Web・ネイティブアプリの双方でその構築は必須。いかにユーザーにとって使いやすいシステムを作るか、フロント領域での経験があるエンジニアを求めます。
そして、そもそもイオンネクストが作る新しいサービスにどのような機能や体験を盛り込むのか考えていかなくてはいけません。いわゆる「WHAT」の定義です。それらを推進するための、プロダクトマネージャーやUX / UI デザイナーも必要です。
デジタルマーケティングを推進するための、データエンジニアやデータサイエンティストの採用も検討しています。
未曾有の体験をユーザー視点で考え、粘り強く実現する
——イオンネクストのエンジニアが持つべきマインドという点ではいかがでしょうか。
世代を問わず、一般の消費者が私たちのエンドユーザーですから、顧客第一、ユーザードリブンでシステムを設計できる人。そういうシステムを設計したいというマインドが一番大切だと思います。
IT業界でB to Cの事業に関わることは、意外と多くありません。目の前の一人ひとりのお客さまを想像しながら、その体験をどうしたら向上できるか、どうしたら満足してもらえるのか、常に考えていてほしいですね。もちろん、データ活用は重要ですが、データの数値を追いかけるだけではなく、ユーザーの満足を定性的に理解することも必要です。
私たちが目指す次世代型のネットスーパーは、日本ではまだ誰もやったことがない。つまり前例がないからこそ、自分で課題を発見し、成功まで導く粘り強さも欠かせません。
——エンジニアの働き方という観点で、イオンネクストが提供できるものは何でしょうか。
次世代スマートシティの開発を、東京のすぐ近くの広大なフィールドで行える環境を提供できます。イオンの本社は幕張のイオンタワーの中にあります。すぐ隣に国内最大級のイオンモールがあり、さらに車で30分の千葉市誉田には、先述の最新鋭の物流倉庫が誕生する。イオングループにより、国内のリテールテックにおける最先端の実験が始まろうとしています。その状況を間近に見ることができるチャンスがあります。このような機会は二度と訪れないのではないでしょうか?また、サンフランシスコとサンノゼの二ヶ所の空港に挟まれた一帯をシリコンバレーと呼びますが、羽田空港と成田空港に挟まれた幕張は地理的環境がシリコンバレーと非常に似ています。Googleのマウンテンビュー、Facebook のメンロパーク、Appleのクパチーノと呼ばれるように、イオンの幕張と世界から注目されるぐらいさまざまな価値提供をこのフィールドで提案していければと思います。
ところで、幕張は東京西部・城南地区・神奈川などにお住まいの人にとっては通勤に時間がかかります。しかし、コロナ禍をきっかけとしてイオンのリモートワーク体制はかなり充実してきました。私も実際に出社するのは週に一度ぐらい。そもそも出社は不要とも感じています。
コロナ禍が落ち着いたとしても、オンラインワークがこれからの働き方のベースになると思います。今は幕張の本社にオフィスがありますが、今後千葉市誉田や八王子といった複数の拠点が順次竣工していきます。これらのどこにいても、もちろんご自宅であっても働き方に一切影響を与えない業務環境を整備したい。Work From Homeではなく、Work From Anywhereを実現していきます。もし勤務地という点で二の足を踏む人がいたら、そこは全く気にする必要はありません。
顧客第一を貫きながら、小売のスタイルをデジタルで変革し、ハッピーな顧客体験を世界に広げる——イオングループの目指す理想はとても壮大です。たしかなビジョンを掲げ、成長を続ける企業には、たえず新しいジョブ・オポチュニティが生まれるもの。
私自身も、いつまでイオンネクストのCTOをやっているかわかりません。求められれば、イオングループの中で新たな事業を開拓したり、新たな職務を担うことになるかもしれません。
だからこそ、後継者を育成するということを、今の段階から考えています。樽石に代わって、次のイオンネクストCTOを目指したいと思っていただける方がいたら嬉しいですね。「採用したいのはCTOです」ということかもしれません。 もちろん、業務開発のリーダーとして技術を深掘りしたいという方とも、ぜひお会いしたい。イオンネクスト、そしてイオンのDXに少しでも興味が湧いた方は、ぜひお話しましょう。
プロフィール
イオンネクスト準備株式会社 CTO 樽石 将人氏
少年時代よりデジタル環境に触れ、学生時代はオープンソースコミュニティの理事としてオープンソースの発展に貢献。新卒一期生としてRedHat日本法人に入社し、同社やVA Linux Japanで、Linux・コンパイラの開発やミドルウェアの開発に従事。その後Googleに入社し、モバイル検索やマップのソフトウェアエンジニアやSREを担当。東日本大震災時にはモバイル版パーソンファインダーの開発リーダー。その後、楽天を経て、RettyではCTOを務める。自身の個人会社、樽石デジタル技術研究所をベースに様々なIT企業の技術顧問、再生エネルギーソリューション導入など脱炭素化事業にも関わる。
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※掲載記事の内容は、取材当時のものです。